波のなかの砂

 平田星司が一列に並べて展示した8本の瓶たちは、少しづつ違う輪郭をもって照明をやわらかく反射し、とぎれとぎれの影を落とす。なめらかなガラスのかけらたちは、海水と砂が混ざり合う繰り返す波とともに時を過ごして、ふとしたはずみに波力圏から放たれ浜に投げ出された。平田が浜辺を歩いて拾い集めたそれらは、ここでリズムをもってうつくしく集まっているからには、もう一度瓶の姿を成すことに同意を示しているのだろう。もっとも、彼らは瓶になって再生してもよいし、そうでなくてもよい。ほかの分身たちは今も、波のなかでかたちを変えつつある。
 平田の《海のプロセス》は、海の色に見える。

 緑が目に残る中根秀夫の映像作品《もういちど秋を》を照り返すのは、中根のもうひとつの出品作《白い日》である。落涙しているように見える鏡が、詩人とのコラボレーション映像をサイドから反射する。中根の映像作品は会場ではサイレントだが、もともと言葉を発し続ける装置だ。朗読される詩と、移動する景色のデジタル映像が重なるように設計されながら、不可侵のまま進行する。喪失感を語る言葉とともに、とどまらない映像を見ているとき、いつも意識の一部にありながら、そのためになることが自分には何もできていない、地震で損傷した原子力発電所を思う時の感触が浮かんでくる。詩人にとって実在だったのかもしれない「あなた」と「わたし」は、《白い日》と映像の反射のなかに反復するうちに、フロントグラスの向こうの樹々のように流れ去る。

撮影 坂田峰夫 Photography: Mineo Sakata

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