海のプロセス

瓦礫となった私から立ち上がるためには、飛ばなければならなかった。私は飛んだ。

『クレーの日記』3より

2


1926年5月、日本で初めての公立美術館として東京府美術館が開館した。時代を振り返れば、1925年に普通選挙法と治安維持法が同時に施行され、その後は世界恐慌による経済の悪化から満州事変へと続く流れの中で美術家の活動は次第に制限されていく。1940年に「紀元2600年奉祝展覧会」の開催、41年には瀧口修造と福沢一郎の検挙、投獄。12月に太平洋戦争が開戦すると、美術家は弾圧に屈するか戦争協力をするかという時局に突入する。それは「言葉」が絞殺された時代であると言えるだろう。

また、こんなことも考えてみる。1933年、ヴァルター・ベンヤミンは、総選挙でのナチス勝利をラジオで聴きながら各政党の得票率を書き留め、その数字の下に「死んだ鳥」を素描した。死んだ鳥には「選挙の鳥」(Der Wahlvogel)と記されている。テーブルと思われる矩形に横たわるその鳥は、頭部を右を向け、くちばしは肥大し、瞳が無い4

ユダヤ人であるベンヤミンは、この後ベルリンからパリへ移住を迫られることになる。1940年にパリが陥落すると再び流浪の民となる彼は、スペインへの入国を拒否された翌日に自ら命を絶つ。旅の間も常に携えたパウル・クレーの『新しい天使』5という水彩画は、ベンヤミンの死後にゲルショム・ショーレムの手にゆだねられる。「歴史の天使」である。

戦後72 年、東日本大震災から6年の月日を経て、私たちが社会に於いて直面する様々な問題は、例えばSNS のような直線的で加速度的な「言葉」の増幅によって逆に「言葉」の劣化を招き、さらなる混沌へと歩みを進めているようでならない。「言葉」はリアルタイムな活動を支えるツールであるとともに、本来は過去にも未来にも広く参照点を持ち、私たちの思考を多様化する開かれたものであるはずだ。「言葉」のあり方を問い直すことによって、混沌とした私たちの日常に与える秩序について考えている。


3) パウル・クレー『クレーの日記』ヴォルフガング・ケルステン編 高橋文子訳、2009年 「1915年の日記」より
4) 河本真理『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』ブリュッケ、2007年 「第3章4《新しい天使をめぐって》」
5) ベンヤミン『歴史哲学テーゼ(歴史の概念について)』野村修訳 第9のテーゼにはクレーの『新しい天使』について以下のように書かれている「それにはひとりの天使が描かれており、天使は彼が凝視している何ものからか、今にも遠ざかろうとしているところのように見える。彼の目は大きく見開かれていて、口は開き、翼は広げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。(中略)しかし楽園から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれるばかりか、その風の勢いが激しいので、もう翼を閉じることはできない。強風は天使を、彼が背中を向けている未来の方へ、不可抗的に運んでゆく。」