海のプロセス

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「言葉」に制作の比重を置く美術家は少なからず存在するが、例えばポップ・アートやコンセプチュアル・アートとの関連だけではなく、実際にはもう少し広い視野での接続の可能性があるだろうと、私たち(という概念)は思考する。「言葉」はひとつのイメージであり、特に身体あるいは身体性と強く関連を持つ。

展覧会タイトルの『海のプロセス』6は、打ち寄せられたガラス瓶の破片の再生、あるいは時間や記憶の再生産とその物語的構築のプロセスを意味するが、それは繰り返される時間の波に摩耗され形を変えて降り積もる「言葉」のイメージでもある。 夜明け直前の海に立つ時7、寄せる波音が私たちの身体を行き来するように、私たちの暗い身体の内側に「光」を感受し「言葉」を受動することについて考察される。

東京都美術館の地下3階の展示室は、中央の4本の太い柱によって支えられている。展示空間の中でのその視覚的な障害物を逆に利用し、移動による視界の変化を「体験」とすることが肝要だ。空間と触れる身体としての体験が、各々の記憶/言葉と共鳴するとき、外部(作品の空間)と内部(自己)を繋ぐ「地図」というエリアの概念が発生する。暗闇、あるいは混沌の中で、4人の作家が広げた「言葉をめぐる地図」をコンパスを携え辿っていく行為は、私たちの内に折り畳まれた記憶の地図を私たち自身が広げ、その地図に割り振られたひとつひとつの記憶の番地を訪ね歩く8というさらなる私的/詩的体験を促すだろう。薄闇の、微かな光とともに…。

「アトラス」9について、例えば各作品の内に畳まれた言葉を広げ、それらすべて線で結んでみることを想像(イメージ)する。それはリニアな結合ではなく、過去にも未来にも自由に繋がる幾通りもの道筋であり、そこに交通が生まれ、新しい地図(イメージ)が生まれる。広げられた地図にアクセスする私たちは、自らの身体で新たな回路/道を開き、そのネットワークは言葉を通じて拡張し、連結し、そして私たちの社会をめぐる地図を束ねた「アトラス/地図帳」となることを想像している。一方でその新たな結合は切断を伴うイメージでもあり、瞬間瞬間に断片化されては多層化され形を変える「コラージュ」のイメージでもある。


6) 平田星司の同名の作品のタイトル《海のプロセス》から。
7) 井川淳子の「海」を撮った写真《すべての昼は夜》。
8) 
福田尚代の今回は未出品の作品を思う。
9) アトラス(アトラース)はギリシャ神話に登場する神。ゼウスとの戦いに敗れたアトラースが世界の西の果てで天空を背負うという苦役を強いられたという神話による。地図帳のことをアトラスというのは16世紀にフランドル出身の地理学者ゲラルドゥス・メルカトルが、地図帳の表紙としてこのアトラースを描いたことに由来する。建築では男性の彫刻を柱として用いたものをアトラスともいう。また井川淳子の写真のシリーズの名前でもある。